
日本の誇る文化「冠名」
「競馬はブラッドスポーツである」という言葉があるように、競馬において血統はその根幹を成す重要な要素であり、他のスポーツやギャンブルにはない大きな魅力となっている。
血統表とみらめっこして、最良のサラブレッドが生まれるべく繁殖牝馬と種牡馬の組み合わせを考え、そうやって選ばれた優れた父と母の素晴らしい特性を引き継いでほしいとの願いを込めて、産まれた仔馬には両親の名にちなんだ名をつける。
20世紀に最も成功した種牡馬、ノーザンダンサー。その名は、父ニアークティック(新北区)、母の父ネイティヴダンサー(先住民の踊り子)との連想から付けられた。そのノーザンダンサーの仔で、イギリスクラシックの三冠馬で種牡馬としても大成功したニジンスキーは、ロシアの伝説的バレエダンサー「ヴァーツラフ・ニジンスキー」が名の由来である。
他にも、ノーザンダンサーの仔たちには、リファール(フランスのバレエダンサーで振付家のセルジュ・リファール)、ヌレイエフ(ロシアのバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフ)、サドラーズウェルズ(舞台芸術を行う、ロンドンのサドラーズウェルズ劇場)なども、親にちなんだ名前となっている。
日本でも、父ステイゴールド、母オリエンタルアートからオルフェーブル(金細工師)など、両親からの連想により素晴らしい名前を付けることが増えているが、私が競馬を初めた平成元年あたりは、日本の競走馬の馬名と言えば「冠名」(冠号とも言う)で溢れかえっていた。
例えばその平成元年のダービーの1番人気は、関西の秘密兵器(これも今となっては死語か…)「ロング」シンホニー、2番人気はご存じマイネル軍団の「マイネル」ブレーブだし、私の友人が大好きだった「サクラ」ホクトオー(5番人気)も出ていた。
ちなみに、「マイネル」と「サクラ」は、他にもマイネルムートとサクラソウルオーが出走しており、大レースでの冠名2頭出しなども普通にあった。他にも、「タニノ」ジュニアス、「オースミ」シャダイ、「ニシノ」サムタイム、「タマモ」ベイジュなども出走している。
特に「サクラ」の冠名は毎年のようにクラシックに有力馬を出し、1987年、サクラスターオーが皐月賞と菊花賞、翌1988年にはサクラチヨノオーがダービーを勝つなど、「サクラ」ブランドは良血かつ有力ということで、「サクラ」の文字を見ただけで買い、そんな時代だった。
この頃、日本の競馬のレベルはまだまだ世界的には低く、ジャパンカップなどもそれまでの8回中、日本馬が勝ったのはたったの2回(第4回カツラギエース、第5回シンボリルドルフ)であり、この平成元年の第9回もオグリキャップの大激走も及ばず(2着)、勝ったのはニュージーランドのホーリックスだった。
また、「日本は種牡馬の墓場」などと言われ、ダンシングブレーブ、ラムタラ、フォーティーナイナーなど、海外の名馬たちを金に物を言わせて(バブル経済に乗って)買い、日本で供用して血統を絶やしてしまうことが続いており、日本は競馬に関しては世界的にはB級、C級国という扱われ方だった。
そして、この冠名も日本が競馬後進国である証のひとつとも言われていた。両親の名前などを無視した名付けがされ、なかでも冠名を使ったものは特に手抜き感も強く、競馬への愛情や理解が浅く、伝統を軽んじていることの筆頭として挙げられていた。
また、この冠名をつけた馬が種牡馬や繁殖牝馬となった際には混乱を招く。父サクラホクトオー、母サクラサエズリの仔がいたらどうなるか。冠名「サクラ」に、父の名から「サクラ」、母の名から「サクラ」を取って、サクラサクラサクラとでも言うのか。(なお、この父母の馬は実在する。マーシャルボーイ)
初年度産駒からイクイノックスという化け物を輩出し、種牡馬としても天下を取りそうなキタサンブラック。まさかここまで強く、かつ種牡馬として成功するとは、馬主の北島三郎も驚いているだろうが、だからこそ、冠名の「キタサン」と父「ブラック」タイドから取って「キタサンブラック」は残念だった。
とはいえ、同じ冠名の馬が同時期に活躍し「イイデ軍団」などと言われたり、長距離なら「メジロ」とかクラシックなら「サクラ」など、一門のイメージがあったりと、競馬を楽しむ一つの要素でもあり、一概にダメというのも寂しい気もする。
年度ごとに役職、星座、野菜、宝石などのシリーズ名をつける「シゲル」とか、小倉名物「カシノ」対「テイエム」など、冠名にまつわる面白い話は他にもある。
マチカネオマチカネ
「マチカネ」の馬主は、知る人ぞ知る「ホソカワミクロン株式会社」(世界最大手の粉体機器メーカー)の代表取締役、細川 益男(ほそかわ ますお)氏(2010年没。85歳)である。「マチカネ」の冠名は、氏の母校、浪速高等学校 (旧制)の所在地である、豊中市待兼山(まちかねやま)にちなむ。
代表馬は、G1菊花賞を勝ったマチカネフクキタルであり、所有馬のファンクラブ「マチカネファンクラブ」の会報、「フクキタル」の名前にもなっている。淀の京都競馬場にも近い大阪府枚方市に大きな本社ビルがあることもあって、関西では著名な馬主と冠名であるが、全国区となったのは、このマチカネフクキタルの活躍以外にも、次の二つが原因と思われる。
まずはダービースタリオンの「マチカネオマチカネ」だろう。ダビスタで騎手や馬名が実名になったのは1996年のダビスタ96からで、ファミコンの初代、スーパーファミコンのⅡ、Ⅲまでは「おたべ」「たき」や「サッカーボール」「アグリキャップ」などと、ちょっと違う名前が使われていたが、なかでも「マチカネオマチカネ」は、その語呂の良さから大人気を誇っていた。
そして、もうひとつは、これもダビスタにも関係あり、マチカネイワシミズという無料の種牡馬がダビスタに存在し、ダビスタⅢではこのマチカネイワシミズとオオシマナギサとの危険かつ強力な配合が有名であり、むしろこっちでその存在を知ったという人が多いようだ。
私は競馬四季報の裏表紙(違った?)がマチカネイワシミズで、しかも無料というのにまず驚いた。そして、あのハードバージの全弟というのにも驚いた。今でも福永洋一(福永祐一調教師の父)のベストレースと言われる、このハードバージの皐月賞(もちろんVTR)はびっくりした。確かに天才だと思った。
その全弟という血統的背景から種牡馬になるも、人気が無く無料になり、それだけでもなかなか珍しいことだろうが、その後まさかゲームから有名になるなんて。マチカネファンとしては嬉しいばかりである。
由来の分からない冠名
パッと思い浮かんだ2004年スプリンターズSの覇者、カルストンライトオの「カルストン」が気になり、冠名なのは知っているが、その由来が分からないものを取り上げてみることにした。
その「カルストン」だが、これは馬主の清水貞光さんの会社、株式会社清水工務店で取り扱う「軽石」、「かる」+「石=ストーン」から「カルストン」ということらしい。石がストーンではなくストンなのは、言いやすさからだろうが、これはタイヤメーカーのブリヂストンの由来が、創業者の石橋正二郎の石橋をひっくり返した「ブリッヂ」+「ストーン」から「ブリヂストン」としたのと似ている。
ちなみにカルストンライトオは、冠名の「カルストン」+貞光の「光」=ライト+王=オーで、カルストンライトオーとなるところ、馬名の9文字制限によりカルストンライトオとなっているが、これはマチカネタンホイザとか、オウケンブルースリと同じ、冠名文字制限あるあるである。
なお、「マチカネ」は前回書いたように「豊中市待兼山」(まちかねやま)から、「オウケン」は経営する道場「桜拳塾」(おうけんじゅく)がその由来という。
ゼンノロブロイの「ゼンノ」は、馬主の大迫忍氏の経営する地図で有名な「ゼンリン」からというが、夫婦で馬主となっており、奥様の大迫久美子さんの馬はダイヤモンドビコーなどの「ビコー」が冠名で、これは名前の久美子の後ろ2文字「美子」の音読み「ビコ」からきている。
元祖葦毛の怪物、タマモクロスの「タマモ」も会社名から来ているが、その由来は「玉藻城」というお城から。聞いたことない城だと思ったらこれは「高松城」の別名で、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことから、そのあたりを玉藻の浦と呼んでいたことに因んでいるらしい。
デルマソトガケ、デルマルーブルの「デルマ」は、馬主浅沼廣幸が開設した「浅沼皮膚科医院」からきているが、これは難しい。なんと、英語で「皮膚科」を意味する「dermatology」(デルマトロジー)からデルマをとって冠名としている。馬の名前に「皮膚科」とは、馬なのに「ゴリラ」以来の衝撃である。
ちなみに、この「ゴリラ」の馬主は小田切光さんという人で、「オレハマッテルゼ」「エガオヲミセテ」で有名な小田切有一氏のご子息である。親子揃っての珍名マニアである。素晴らしい。馬名で初となる「ヲ」を使用した「エガオヲミセテ」は、当時本当に感心した良い馬名である。
最強馬の話になると必ずでてくるナリタブライアン、菊花賞を勝ちテイエムオペラオーと死闘を繰り広げたナリタトップロードなど、多くの有力馬の馬主である山路秀則氏は、オースミシャダイ(天皇賞・春3着)、オースミロッチ(宝塚記念3着)の馬主でもあり、預ける調教師によって「ナリタ」、「オースミ」と冠名を変えている。
テイエムオペラオーと死闘を続けたもう1頭、メイショウドトウの「メイショウ」も冠名ベスト10があれば必ず入ってくるような有名な冠号だが、この「メイショウ」は馬主である松本好雄が代表者である「株式会社きしろ」の所在地であるタコで有名な明石市の「明」と名前である「松本」の「松」=「明松」の音読み「メイショウ」であり、これは「名将」ともかけているらしい。
いやあ、やっぱり世界的には支持を得られなくとも、冠名というのは面白いので、全く無くなるのは寂しいので、どこかで続けていってほしい。なお、私の好きな冠名は今は使われていないが、チェリーコウマンなどの「コウマン」である。
夏の小倉名物「テイエムとカシノ」
「夏の小倉名物」で検索すると、「小倉焼きうどん」とか「北九州のフク」などというグルメが表示される。「小倉焼きうどん」は、戦後まもない小倉の食堂街で生まれたという。当時手に入らなかったそば玉の代わりに干しうどんを使い、豚バラ肉と若松産のキャベツを使った、小倉を代表するソウルフードだという。
「北九州のフク」の「フク」とは「ふぐ」のことで、幸福にかけてフクと呼んでいるらしいが、関門海峡で育った最高のトラフグを使った、コリコリとした独特の食感であるフク刺し、濃厚なフク白子は、まさに幸福を呼ぶ名物グルメの名にふさわしい。
しかし、競馬ファンにとって「夏の小倉名物」と言えば、「テイエムとカシノ」の対決に決まっている。この対決は、テイエム&カシノ祭りとかテイエム&カシノの大運動会などと言われ、異様な盛り上がりを見せる。これが単に二人の馬主による所有馬の多頭出しであれば、ここまで盛り上がりはしない。
これらの馬が冠名を持ち、出走表が「テイエム〇〇」「カシノ〇〇」で埋まるからこその盛り上がりであり、出走表が「映える」のだ。
例えば、2013年の「ひまわり賞」。九州産馬限定の2歳オープン特別レースで、18頭立てだった。その18頭のうちテイエムが7頭(テイエムキュウコー、テイエムチュラッコ、テイエムトッピモン、テイエムゲッタドン、テイエムボッケモン、テイエムヒットバセ、テイエムヒッカッタ)、カシノが5頭(カシノタロン、カシノサプライズ、カシノバル、カシノピカロ、カシノエーデル)という、出走数の3分の2がテイエム、カシノで占められている、まるで「テイエム、カシノ限定」レースのようだ。
なお、レースは1着が1番人気のテイエムキュウコー、2着が2番人気のテイエムチュラッコで決まり、配当も入線した馬名も平穏な結果に終わった。ちなみに3位はキリシマホーマで、馬券圏内をテイエム&カシノで独占とはいかなかった。ただ、「キリシマ」もキリシマホーマとキリシマムスメの2頭出しだった。
「テイエム」の馬主、竹園 正継(たけぞの まさつぐ)氏は、鹿児島出身の実業家・発明家で、耐震補強材を開発・製造するテイエム技研株式会社の創業者であり、豊田行二の小説「大いなる野望」のモデルにもなっているというから、ひとかどの人物なのであろう。なお、「テイエム」の由来は、自身の名前「Takezono Masatsugu」のイニシャル「TM」からきている。
馬主としては、G1を7勝した最強馬テイエムオペラオー、G1を3勝したテイエムオーシャンを所有するなど大成功しているが、併せて、オーナーブリーダーとして「テイエム牧場」を創設し、九州から大レースを勝つ馬を出すことを夢見ているという。
そして、テイエムチュラサンにより2005年にアイビスサマーダッシュを制覇し、九州産馬として1998年のコウエイロマン以来となる重賞勝ちをするなどの成功を収めることになるから凄い。
「カシノ」の柏木務(かしわぎつとむ)氏は、獲得賞金2億3千万のカシノエタニティなどの馬主である。所有馬に中央での重賞勝ちは無く、大きな活躍をした馬はいないが、夏の小倉を賑わせてくれる名物馬主といっていい。
柏木氏は、九州軽種馬協会の会長でもあり、生産馬や購入馬は自宅敷地内の1周600メートルのダートコースのトレーニングセンターを使って育成し、トレセンへ送り出しているという。南九州を代表する馬主であり、夏の小倉開催にはなくてはならない存在である。
2020年から2021年にかけては、熊本県産馬初の重賞制覇とG1への初出走を果たした「ヨカヨカ」などの活躍もあり、九州産馬界隈も熱い。その先頭に立つ「テイエム」と「カシノ」のお祭りレースから、全国区になるほどのヒーローが出現してほしいものだ。