私なんかが言うのもあれだが、スマホというのは凄い発明だと思う。私が若い頃、写真はカメラで撮って現像するものだった。もちろん、デジカメではなくフィルムだったから、何枚も撮る訳にはいかない。なので旅行の道中もとりあえず撮っておくなんてことはできないので、要所要所での集合写真や風景写真ばかりになる。
道中のふとした風景や表情なんてなかなか撮れないし、道中に撮りすぎてしまって旅行の行程がまだ3分の1あるのに、フィルムの残りが3枚なんて事態になると吟味して使わざるを得なくなり、そのため躊躇してしまった景色を撮っておけば良かったと後悔することも多かった。
今のスマホなら撮ったり消したり思うがままだし、クラウドなら枚数も気にしなくていい。いい時代にはなったが、選りすぐりの場面を収めた写真をアルバムにしてみんなに配り、欲しい写真のところに名前を書いて、後に現像してもらってワイワイ言いながら見るのも楽しかった。
それがデジカメになって一時は隆盛を極めるも、結局スマホの性能が上がり、デジカメも不要となった。駅や街のあちこちにあった小さなフィルム屋さんも、みんな潰れた。
スマホは他にも、音楽プレイヤーにもなり、漫画、新聞、本・雑誌、テレビ、パソコン、ゲーム機の代わりになり、メディア以外でも財布や定期券の代わりにもなる。近い将来には免許証・保険証・マイナンバーカードの役目も果たすだろう。
更には、各種リモコン(テレビやエアコン)や鍵(家の鍵、車の鍵など)などとしても使えるようになるし、細かいところでは、コンパス、距離計、時計、懐中電灯、翻訳機、辞書、電卓…いくらでも思いつく。
そんなスマホだが、今、私は持っていない。それはギャンブルと借金を防ぐためである。どうしても、スマホを持っているとギャンブルも買ってしまうし、借金や後払いアプリを使ってしまうからだ。
しかし、これは困る。スマホというのは、先に挙げたくらいの、あまりに使い道の多い千徳ナイフだから。と言いたいが、無いなら無いで言うほど不便でもない。しかし、やっぱり不便なところもある。それを使ってない私が列挙してみよう。
・ 時間が分からない
腕時計をすればいいのだが、私は物を身に着けるのが嫌いなのと、接触により皮膚炎になる体質でもあるから。懐中時計という手もあるが、そこまでダンディーではない。そして、それこそスマホが普及したからか、とにかく街中に時計が無い。
・ 電車のダイヤ
駅に行けば時刻表があるが、乗り継ぎまでは分からないので、正確に目的の駅につく時間が分からない。「駅すぱあと」とか、ほんとに便利だった。乗り場・降り場のホーム番号まで分かるし。
・ 待ち合わせ
急用で遅れるとか、電車が遅延した時に連絡が取れないと、相手を待たせてしまう。連絡さえできれば、どこかで時間を潰してもらうとか、色々できるのに。
とまあ、これくらいだろうか。ヒマなのは本やゲーム機で時間を潰せるし、連絡が取れないというのは、逆に知恵を使うことになるから、かえっていいと思えることもある。スマホに頼りすぎると答えがすぐに出てしまい、考える機会を奪われるから。
待ち合わせなんかも昔は「17時にロケット広場で。10分以上待っても来なかったら、地下の旭屋で。」とか、色々考えていた。今はスマホさえあれば「17時頃になんばで」とか、それだけ決めておけば、どうとでもなる。
ただ、あった方がいいのは間違いない。最終的には、金と同じかな。無くても困らないが、あった方がいい。金とスマホの両方が無い私…
