「チンチロリン」の話をする。といっても、高校生時代の話であり、友達と遊び半分に少額を賭けていたので、賭けではあるがギャンブルというほどのものでもない。
誰がやりだしたのか覚えていない。少なくとも私は言い出しっぺではない。「チンチロリン」と言えば、今や「カイジ」の「ハンチョウ」で有名であるが、この当時まだ「カイジ」は連載されていなく、福本伸行は「近代麻雀オリジナル」で「熱いぜ辺ちゃん」(あついぜぺんちゃん)を描いていた頃だ。
まさか、その福本伸行が「カイジ」であれほどブレイクするなんて、当時は思いもよらなかった。「はっぽうやぶれ」の「かわぐちかいじ」(のちに「沈黙の艦隊」で大ブレイク)は分かるのだが。
しかし、福本伸行は当時から全く絵が進歩しておらず、ここまで上手くならない作家も珍しい(他には「ドラゴン桜」の三田紀房くらいか。進撃の巨人の諫山創は、多少は上手くなっている気がする。)が、漫画は画力ではなくストーリーだというのが良く分かる。それくらい面白い。
さて、チンチロリンに話を戻そう。ルールは「カイジ」を読んでもらうとして(未読の方は、是非読んでください。)、そのルールだが、本当に良くできたルールだと思う。簡単で分かりやすく、面白い。
茶碗とサイコロ3つでこれだけ楽しめるのは凄い。あとは、どうやって勝つか。これが難しい。
将棋は実力10で、麻雀は実力10運10なんて言うが、チンチロリンは運10なんだろうか。運10なら勝ち負けはどうしようもないのだが、本当にそうなのだろうか。それは他のギャンブルでも言えるのだが、「流れ」というものを肯定するかどうかによる。
例え技術的に差が無い競技であっても、「流れ」を肯定するならば、「流れ」を読む巧拙の「技術」で差がつくことになる。「流れ」などというものがあるのか、あったとしてそれが読めるのかという点については、私は懐疑的であるのだが、体感では実際にはそうとしか思えないような経験はある。
これは麻雀での話であるが、仕事帰りに深夜近くまで雀荘で卓を囲み、その日の私は俄然調子が良く、プラス100近く勝っていたのであるが、続きをやろうという話になり、勝ち逃げも許されないところ、全自動雀卓付きのカプセルホテルの四人部屋で続きをすることになった。
そこからは負ける一方で、それも何をしてもダメ。普段からマージャンだけは強いと自称する私は、そういう時の対処も整えており、敢えて上がらないように打つとか、東場は毎回国士無双だけを狙い、途中からベタ降りするなどの方法を取っており、いつもはそれで調子を戻すことができていたが、この時は何をしようが上がれない、振り込んでしまうと全くいいところがなく、100あったプラスが朝には全部無くなり、更に100以上負けた。
もう「流れ」が悪くなったとしか思えない。こういう時は止めるのが正解。ただ、麻雀で4人しかいない時はそれも無理なのだが。
また「チンチロリン」をどこかでやりたいなぁ。
