20歳になる少し前に競馬を始め、それから今まで30数年の間、その時々でパチンコやパチスロだったり、競馬や競艇だったり、はたまた麻雀だったりと、メインとするものは違えど絶えずギャンブルに接してきた私だが、いつからギャンブル好きだったのがギャンブル依存になったのだろうか。
それこそ、賞味期限や消費期限がその日を過ぎた真夜中の0時になった瞬間に腐ったり、不味くなるわけではないのと同じで、はっきりとこの時からとは言えないだろうが、今思えばあのあたりだったなぁ、というときがあったはずなので、自分の未来のため、依存症予備軍の参考のために考えてみよう。
まずは、小学校2年生から始めた家族麻雀だが、これは多少のお金は賭けていた記憶があるが、もちろん、100円200円の話だし、相手も家族だから払わないからといって延滞はがきが送られたり、果ては訴訟などになるわけもなく、回数的にも盆と正月にする程度であり依存症とは関連なしでいいだろう。
次は高校の頃のパチンコ。これは興味本位でたまにちょっとやった程度だし、今より緩やかな時代ではあったが、流石に入り浸りまではできなかったから、これも違う。
同じ頃、授業もそこそこに部室でやっていた紙麻雀。レートは点3。ちなみに、2020年に問題となった黒川東京高検検事長の賭け麻雀は、本人は略式起訴され罰金20万の判決を受け、他のメンツである新聞記者3名は起訴猶予だったが、その時のレートは点5だったという。※点3は持ち点ゼロで牛丼2杯くらい、点5なら3杯くらいの負け。
この麻雀は回数はかなりとなるが、レートは高校3年間変わりなく、フリー雀荘で腕試しなども怖くてできなかったから、これが依存症の始まりとは言えない。
次は20歳になる直前の初めての馬券。忘れもしないイナリワンの勝った春の天皇賞。私はビギナーズラックなど全くなく大外れ。しかし、しばらくはG1を買う程度でそこまでハマらなかった。
その後、毎週、京都開催なら京都、阪神開催なら阪神、夏競馬のあたりは難波か道頓堀のWINSというハマった時もあったが、賭け金は小さく、むしろ競馬ブック、週刊競馬ブック、競馬四季報、優駿、宝島社の競馬読本シリーズ…など書籍に使っていた金額のほうが多かったような気がする。
よって、このあたりの20代に競馬(平行してパチンコ、パチスロもやっていた。)していた頃は、ギャンブル依存症ではなくギャンブル好き、というか競馬好きだったと感じる。
そのまま今に至っていれば、ギャンブル依存症でなく、ギャンブル好きで終わっていたのに。どこからおかしくなったのだろう。続く。
